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執筆者の写真ARU

信じるものに基準を持つ

更新日:2021年9月10日

 私がこれまで育成の現場に携わってきて、よく考えることがあります。

それは、「自分がどんなコーチになりたいか」ということです。


 そこには基準がないとブレると思います。なので私は、自分が信じる基準をいつも大切にして判断し行動するようにしています。


 その基準とは、人を幸せにする為に「自分はこうなりたい」です。自分が信じるものに基準がないと、人の事は関係なく自分勝手な「自分はこうなりたい」になるかもしれないので、そうならないように気をつけて判断するようにしています。これは自分の魂を磨く、人生の訓練だと思っています(笑)


 現在育成年代のバスケットボールの指導を10年程していて、気づいたことがあります。

それは、指導者と料理人は似てるんじゃないかなぁと。


 これをまた「強化」「育成」に分けて、バスケットボールを料理に例えてみて考えると面白いんです。


「強化」カテゴリーの指導者は、まさにミシュランレベルの一流のシェフで、一流の食材を日本中から集め、どんな食材を組み合わせても、最高のスパイス(様々な知識と豊富な経験)で、日本で最高に美味しい料理を作ることができます。


「育成」カテゴリーの指導者は、料理が大好きなシェフです。冷蔵庫を開けた時に、その中にある材料で美味しい料理を作ります。例えば、今日はカレーを作りたいと考えているとします。しかし、冷蔵庫を開けると、サツマイモや青い玉ねぎ、ニンニクや白菜など、カレーを作る食材が揃っていなかった時に、その食材で作れる美味しい料理は何かを考え、持っているスパイスを使って、その食材を生かした美味しい料理を作ります。


 料理を作る基準は、人を幸せにする為だからこそ、その為に持っている知識を使ったり、更に学んだりを繰り返し、柔軟な思考と対応能力を訓練することができるのだと思います。


 しかし、もし自分勝手な「自分はこうなりたい」に向かってしまうと、間違った方向に行ってしまうのではないかと思うんです。間違った方向とは、人に嫌な思いをさせるということです。

 例えば、今日はカレーを作りたいと考えてるとします。しかし、冷蔵庫の中には作りたい食材が揃っていなく、サツマイモに対してジャガイモになれと命令したり、青い玉ねぎに対して何でまだ青いんだと文句を言い、ニンニクや白菜に向かってカレーには必要ないと決めつけ、それでも自分が作りたいカレーを作ってしまうから、もちろん食材も幸せではなく、美味しくないカレーを作ってしまいます。


 だから私はそうはならない為に、何か新しい行動を起こすときの基準は、「人が幸せになるかどうか」を考え、そうなりそうであれば、人に自分勝手に思われようが何を言われようが突き進みます。

 自分勝手という言葉は人の価値観によって勝手に決められることが多いので、自分が信じる基準さえブレずに持っていれば、行動することで共感する仲間が増え、同じような価値観の人たちに出逢い、楽しく幸せな日々を送ることができると確信しています。

 最近、子供達のお陰で発見したことですが、U-10とU-12クラスのレッスンの時に、子供達が心から楽しそうに挑戦し、考えながら練習をしている光景をふと見て、「この料理はこんな味付けを考えてね、とても美味しいんだよ〜」とワクワクして出した料理を、子供たちが「これめっちゃ美味しいね!」と幸せそうに食べてくれたように見えて、幸せだなぁと思い、また料理人の感覚と同じだと気づきました。

 「この練習はこういう目的があってね、やり方と判断を知ってこれが出来ると、こんなすごいプレーができるんだよ。バスケットボールは、ボールを持った最高に楽しい鬼ごっこなんだよ〜」って伝えた後に、「わ〜い!楽しそう!」って夢中になって練習に取り組む姿を見るのが、一番幸せです。


 人それぞれの価値観があると思いますが、私が考える良い練習は、すごい知識や経験を持っていなくても(最低限は程度は必要ですが)、指導者が自分で学んだものを自信を持って指導し、そして見本を見せる時は全力にプレイし、子供達ができるできない関係なく、自主的に楽しんで挑戦し続けてくれたら、私はそれだけで良い練習だと思います。


 育成年代にとって、そういう「楽しい・自主的・挑戦し続ける」という取り組み方のスキル磨きの方が、もしかしたらバスケのスキル磨きよりも先に大事で、子供達にとってその先の競技スキルの成長と心の成長を大きく育んでいくのではないかと思っています。

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