前回の記事(トライアウトにも「育成」と「強化」がある)で、私の考えと想いをシェアさせて頂きました。
今回は、私が経験したプロ(強化)のトライアウトとは、どういうものだったのか、それを経験して感じた私の考えをお話しさせて頂きます。その上で、現在育成の現場に携わることで、育成のトライアウトとはこうあるべきなのではないか、と思い前回のような記事になりました。
私がこれまで経験した“海外挑戦ストーリー”は、仲間からよく言われるのですが、なぜかぶっ飛んでいるようで、とてもじゃないですが参考になりません。
人から相談されたら真剣にお話しするか、又、仲の良い仲間達と面白可笑しく話すか、そのくらいで、誰にでも話したことはありません。
振り返ると、本当に人に恵まれた人生だなぁとありがたく感じているので、記録として文字に残すのもいいかなと思い、今回じっくり振り返ってみようと思います。
プロのトライアウトは、究極のサバイバル
海外のプロのトライアウトで感じた評価基準は主に以下の5つを感じました。
・出身大学(NCAAベスト4以上であれば評価が高い)
・体格、身体能力
・出身国(USAの黒人は評価が高い、Gポジションは白人の評価も高い)
・コミュニケーション力(語学力も含む)
・判断力とスキル、表現力(愛嬌も含む)
とくに外国人(日本人も含め)からしたら、もちろん誰もあなたのことを知らない状態から評価されます。トライアウトでは、主に5対5の試合をして、その選手が与えられたポジションでどう結果を出しているか、又輝いているか、などをコーチ又はGMがチェックし、チームにはこのGが欲しい、又このCFが欲しい!と見つければ声をかける、そしてチームと契約するという流れになっています。
プロのトライアウトとは、サバイバルです。誰もあなたの事を知らない、そういう状況の中で、3時間のトライアウトで結果を出し、評価されなければいけません。
どうですか、ワクワクしませんか?!
最初のトライアウト
日本でプレーしている時から、私は常にトライアウトの気持ちで練習に取り組んでいました。
大阪の樟蔭東女子短期大学という常にインカレ上位の名門校に、自ら志願して入部し、身長150cmは低すぎると自覚していたので、スタートの5人に選ばれるためには、日々の練習が私にとってはまさにトライアウトのようなものでした。
さかのぼると、小学校の時からワクワクした気持ちで楽しくバスケをしていて、中学校と高校は目標を見つけてそれに向かってワクワクして過ごし、高校3年生の5月で引退した後は、鹿屋体育大学のサマーキャンプに勝手にトライアウト気分で参加し、キャンプ終了後に監督に「入りたいです」とお話し、「九州大会2位以上しか取れないよ」と助言され(私は県大会も出てないです)、その後には中村学園女子高校の練習に入れさせてくださいと吉村先生に相談して半年ほど参加させて頂いたりなど、ワクワクしてやりたいと思うことを好き放題にやっていました。
挑戦し続けることで、短大ではインカレ3位とベスト5という結果を残し、その後の当時WJBL2部の荏原ヴィッキーズ(現東京羽田)でも、充実した時間を過ごせた事が大きな自信になりました。
ですので私にとって、その後アメリカでトライアウトを受けようが、ドイツでトライアウトを受けようが同じことで、不安よりは自信とワクワクの方が勝っていました。
私が小学生の頃から磨き続けている「ワクワクのスキル」は、この頃には武器として身についているようになりました。
アメリカでのトライアウト
荏原ヴィッキーズを2年で退職し、23歳の時に一人で渡米しました。目標は、アリゾナ州にあるASU(大学)のトライアウトに受かって入学し、2年間(日本で短大卒なので残り2年プレーできます)NCAA のDvi.1でプレーする!というワクワクする道を、自分で勝手に決め、まずはASUの語学学校に入学し、そこから情報を探していくという冒険から始まりました。
すると、途中でNCAAには年齢制限(25歳まで)があるということを知り、当時の英語力では時間が足りないことに気づき、ワクワクの方向を変えることにしました。
とりあえず、プロのトライアウトはないか探したところ、NWBLというWNBAの下部組織リーグのトライアウトを見つけ、すぐに申込み、サンノゼへ行ってきました。
初めてのプロトライアウト
サンノゼにあるチームのトライアウトに参加しました。プロチームのトライアウトとなると、リクルート以外に、チームに必要な即戦力の選手を探すために、合格できる選手は1~2名程です。そこでのトライアウトは約30名程参加していました。
内容は、全体で3メンなどドリル系の練習をし、5対5の試合をたくさんしました。そこで感じたのは、これは究極のサバイバルだなぁと。すでにNCAAで活躍した選手にコーチが話しかけていたり、アメリカの大学でプレーをしていない私にとっては、厳しいだろうなと肌で感じました。アメリカでの経歴もなく、英語も分からない状態で一人で行ったので、良い経験として捉え、もちろん受かる事はできませんでした。
ワクワクに従って行動した時には出逢いがある
その時に、今の自分に必要なことは何なのか、本当にやりたい事は何かを常に自分に問い続けることで、また新たにワクワクの方向を見つけ変えることにしました。
それは、英語の勉強と練習ができる短大で経験し、まずは自分を成長させよう!という乗り越えた後の成長を想像するワクワクです。
まずはそうなるように行動する為に、アリゾナ州で一番強い短大を探しました。すると、たまたま全米で常に上位のセントラルアリゾナカレッジ(CAC)という短大がアリゾナにあるという事を知り、すぐにHC・Linコーチに連絡を取り、練習生として受け入れてくれないかと尋ねました。(この行動は、吉村先生に中村学園女子高校の練習に参加させて下さいと相談した経験と全く同じことしてるなと思いました)
すぐにLinコーチから、一度練習においでと返事をいただき参加しました。CACの練習はとても雰囲気が素晴らしく、そしてLinコーチの指導は、私が日本の短大で経験した原田先生のようで、厳しいポイントが全く同じですぐに尊敬しました。その年には、NJCAAナショナルチャンピオンを勝ち取り、練習生の私に全米優勝記念パーカーをお土産としてプレゼントしてくれたのを覚えています。
ちなみにLinコーチは、長年の実績があるとても素晴らしいコーチで、Dawn Staley(USA女子代表HC)も慕って選手のリクルートに訪問しに来たほどの腕前です。そして何より素敵な人間性の方で、こういう人になりたい、この人から学びたい!と心が動き、すぐに転校しました。
2回目のプロトライアウト
アメリカの短大には、夏休みが3か月半ほどあり、ちょうどその期間中に行われているリーグはないかと探したところ、WBCBLというショウケースのセミプロリーグを見つけ、そのリーグのトライアウトを受けにアトランタまで行ってきました。
そこでの内容は、ウォームアップドリル、シュート系のワークアウト、3レン、5対5Gameでした。
たまたまその年に発足されたリーグという事もあり、集団トライアウトになっていたようで、40名中25名程が合格していました。
今でも合格者の名前を呼ばれる風景を鮮明に覚えています。トライアウトが終わったあとに、フロア全体に受講した40名が1列で並びます。そして、順番にビブス番号と名前、入団するチーム名を呼ばれていきます。並んでいる瞬間は最高にドキドキしていました。
1番目に呼ばれたのは、190CMくらいの大きな黒人選手が選ばれました。そりゃそうだろうなと思っていたら、いきなり2番目に私の名前を呼ばれ、アトランタエンジェルスというチームに入団することができました。そのトライアウトに参加している選手は、アトランタの南の方だったこともあり全て黒人で、150cmのアジア人は私だけでした。
大学のリクルートで勝手にトライアウト
WBCBLの2シーズン目は、アトランタダイヤモンドに入団しました。そこで、ネブラスカ州のHastings大学のHCからのオファーを獲得し、大学に転校することになりました。
2年前に目標としていた、アメリカの大学で2年間プレーする!というチャンスを得ることができました。これには重要な経緯があって、全ては出逢いと人の繋がりのお陰だと確信しています。
私が大学でプレーをしたい事を知っていたLinコーチが、NAIAという大学のリーグであれば年齢制限がないからプレーできる情報を教えて頂き、Hastings大学のHC・Tonyコーチを紹介してくれました。そこの大学は、昨年3度目のNAIAナショナルチャンピオンになり、今年はPGが抜けて探しているとのことでした。そこで、Tonyコーチは信頼するLinコーチが紹介した私に興味を持ち、リクルートとして私の試合を観に来てくれたのです。
リクルートの日、試合前にTonyコーチと挨拶を交わしました。向こうは多分、思っていた選手とは違ったのだろうと思います。私、ちっちゃいアジア人で童顔の小学生のような見た目ですから。
Tonyコーチからは、試合を観た後に返事をしますと言われた緊張感を今でも覚えています。勝手にワクワクトライアウト気分です。そして試合後Tonyコーチから、あなたのようなGがチームに必要だと声をかけて頂き、チームTシャツを渡されました。その時の喜びは今でも鮮明に覚えています。そして、フルスカラシップでHastings大学へ転校することができました。Hastings大学では2年間プレーし、NAIA全米3位という経験をさせて頂きました。
ヨーロッパのプロトライアウト
アトランタで一緒にプレーした時のチームメイトが、ヨーロッパリーグでプレーしている話を聞いていたので、その時にまた興味を持ち、FIBAライセンスを持っているドイツ人のエージェントが開催しているプロトライアウトを紹介してもらい、アメリカから日本へ帰国する前に、ドイツのケルンへトライアウトを受けに行ってきました。
Slammers Pro Basketball Campといって、エージェント主催のプロトライアウトキャンプでした。2泊3日、指定されたホテルに泊まって行われました。
プロトライアウトキャンプにて
1日目の午後から始まり、その日は既に振り分けられたチームで、練習・コミュニケーションを深める時間を過ごしました。
ディナーは、主催するエージェントが開き、正装した格好で参加し、プロとしてあるべき姿、プロの生活の厳しさ、このプロキャンプの理念などお話し、全員で乾杯しました。
2日目は、午前・午後と5対5のゲームをし、その日のディナーの時に、オファーを受けた選手をエージェントが発表したり、名刺交換をする選手なども見かけました。
3日目最終日は、前半に試合をした最後に、オールスター戦が行われました。この2日間のパフォーマンスで選ばれた選手の名前を発表し、2チーム(各8人)に分かれて試合をするというものでした。
私はそのオールスター戦のメンバーに選ばれ、とても楽しく試合をしたのを覚えています。その時に出逢った仲間は、今でも繋がっており、以前シアトルに行ったときに一緒にバスケをしたりしました。
そのプロキャンプ中に、イタリア人のAntonioコーチから声をかけられ、名刺をもらいました。そのコーチと、まさか5年後に日本で一緒にバスケイベントを開催することになるとは、出逢いとは面白いですね。
結果、ヨーロッパのどこかのチームに入団する事はできなかったのですが、2部リーグでもいいからドイツのチームでバスケを経験したい気持ちと興味とワクワクが溢れ過ぎたので、一度日本に戻り1年間お金を貯め、ワーホリビザを取得して、29歳にして、「もう一度、うまくいかない経験をして成長したい」というワクワクした思いでドイツへ渡りました。
ドイツのベルリンで勝手にトライアウト
首都のベルリンに挑戦先を決め、一番強いチームを探し、コーチと連絡を取って練習参加までたどり着き、勝手にトライアウト気分で練習に挑みました。
Berlin Basketsという2部のチームです。みんな良い人たちで、すぐに仲良くなりました。昨年まで1部リーグでプレーしていた選手や、U18ナショナルに選ばれている17歳の子も一緒に練習したり等、日本の部活動組織とはまた違った、クラブ型組織の育成プログラムのシステムを身近に感じて、育成ってこういうことじゃないかな、面白いなと思いました。
練習参加後、HC・Markoコーチからすぐに連絡を受け、週末から始まる試合にチームの一員として参加して欲しいと声をかけてもらい、Berlin Basketsに入団することができました。そしてその年に2部リーグ優勝という経験をさせて頂きました。
日本に帰国して
Berlin Basketsに2年間所属し、そこで出逢った仲間達のお陰で、子ども達の育成に関わりたいという想いがあふれ、日本に戻ったら一貫指導の育成プログラムを取り入れたバスケットボールアカデミーを立ち上げたいと考えていました。そうしたら、文科省のモデル事業として建てたクラブハウスを拠点として運営している、「ソシオ成岩スポーツクラブ」(総合型地域S.C)の職員募集のお話を頂きました。
当時、国からの拠点事業で、「トップアスリート事業」の委託を受けていたようで、様々な種目のアスリートを探していて、その中のバスケコーチとして声をかけて頂きました。
バスケットで地域を盛り上げてほしいと声がかかり、ゼロから作れるという挑戦にワクワクして、愛知に拠点を移し、今は10年目となります。
育成年代に関わらせていただき、たくさんの事を経験する中で、愛知県U14DCのトライアウトをしていて、強化と育成のトライアウトを一緒にしてはいけないと思い、現場で工夫しています。それが、前回の記事のようなトライアウトです。
想いを行動し、形にしていきたい
最終的には強化のビジョンを持って、その先には世界で活躍できる人間を目指せるような人材育成のサポートを、そしたらその為には、育成年代では何をするべきか、どんな想いでどんな環境を作っていくか、が少しずつですが見えてきたように感じています。
それを形にできるように、行動し続けて、仲間たちを大事にして挑戦していきたいと思います。私にとって一番有難いことは、愛知県U14DCのスタッフのみなさんが、同じような志でいて下さっていることです。アドバイザーの先生方からは信頼というサポートを頂き、長年やられているチーフマネージャーさんからも温かく見守って協力して頂き、とても心強いです。そして愛知県には、育成環境を常に真剣に考えて取り組み続けていらっしゃる先生方もたくさんいらっしゃいます。そういう素晴らしい経験をされた方々が今でも現役で育成現場を盛り上げ続けていることが、私にとってモチベーションとなり、学びとなります。本当に、とてもありがたい環境だと心から思います。
たくさんの方達が共感する方向へ向かっていく事で、いつか想いが形になると私は信じています。恩師から頂いた言葉「温故知新」を胸に、しっかりと取り組んでいきたいと思います。
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