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  • 執筆者の写真ARU

私が考える「目標の楽しみ方」



 私は39年間生きてきて、目標が無い時間を過ごした事が一度もないと思っています。

小学校までは可愛くありきたりな夢を持ち、中学校に入ってから大好きな事を発見し、そのビジョンを持って本気で目標を作り、それに向かって行動するようになっていきました。

 なので中学生の頃からこれまで、様々な目標を勝手に作り、それに向かって勝手にワクワクしながら日々を過ごし続けるように生きていると分析しています。


 そこで私は、目標を楽しむ為に、3つほどの目標を持つようにしています。

まず目標を立てる時には、必ず2種類の動機を入れます。

一つは外発的動機のもの、二つ目は内発的動機のものです。例えると、外発的動機であれば、「人の為にやりたい」や「メダルを取る為に優勝したい」など、ゴールが見える結果のもの、内発的動機であれば、「自分がどう在りたいか」という、ゴールが自分で設定できるものだと思います。


 目標というのは、ビジョンがあれば、自由に好きなように作れるものなので、私が目標を作るときは、色々と候補を考え、その中から抜擢します。

 抜擢の仕方は、、その目標が達成した時に「どんな自分になっているのか・どんな成長をしているのか」を想像します。そして抜擢基準は、果たしてそれは心から「わくわくするもの」かどうかです。最後に直感で決定します。

 目標が決まれば、次は、自分が決めた目標が達成するための計画を立てていきます。

 例えば、この大会で自分がこうである為に、何をすべきかを考え、優先順位を決めて時間の使い方を計画します。3週間、1週間の計画、練習がある日とない日の計画などを立て、毎日夜は、次の日はこれをするって自分に約束して過ごします。

 そしてその後は、それを行動に移す事と、やり続ける強い意志のみ!

「その行動をするか・しないか」が「自分との約束を守るか・守らないか」に繋がり、その積み重ねの量が自信となります。

(知っている仲間からは一体何を言ってるんだと言われそうですが)


 そして目標が達成した時には、また次の目標を作ります。その繰り返しです。

 この楽しい方法を思いついたのは中学校の時でした。

その時は目標を3つ立て、2つは達成するのに7年かかり、もう一つは今でも追い続けています。

 気づいた事は、外発的動機で立てた目標というのは、ゴールが見えるものなので、本気で取り組めば何年かかろうが必ず達成できるようになっていて、達成してもまた次の目標が見つかるようになっていること。

 そして内発的動機で立てた目標は、自分で無限にゴールを作れるため、なかなか達成する事ができないということです。


なぜ中学校で目標を作るきっかけとなったかというストーリーを話させてください。

 私は、小学校の頃は野球が大好きで、毎週末は朝6時から父と公園でキャッチボールをして過ごし、将来は女性初のプロ野球選手になるんだ〜と1人で意気込んでいました。

 私の地元には、福岡ダイエーホークスの球場(平和台球場)があり、平日の夜でも観戦しに行っていました。(バスケの試合は小学校時代一度も観たことがありませんでした)


 小4の時に、小学校のクラブのバスケチームに入り、バスケは身体を鍛えるために楽しく続けていました。


 中学に入ってソフトボール部に入り、3ヶ月くらいして試合に出してもらえる様になった時に、もっと身体を動かすスポーツがしたいと気づき、そして野球は練習が好きだったんだと気づき、バスケ部の外練を見たときにバスケが大好きなんだと気づきました。

 悩みに悩んだ末、ソフト部の退部届とバスケ部の入部届を勝手に自分で作り、勇気を出して顧問の先生方に提出したのを今でもはっきりと覚えています。相当な覚悟をしたんだと思います。(あの時の先生方が、私の退部届と入部届をもしまだ保管していたら、中身をぜひ見たいです。笑)


 その時に私は、自分でバスケをやると決めたからには、とことんやれるまでやってやろう!と心から決心し、その時に3つの目標を立てました。


その目標とは、

1、全国大会に出る!

2、月刊バスケットボールに載る!

3、小さくても人に夢を与えられるような人間になる!

(今でも実家の部屋の柱に書いてあります)


 1と2は、全国大会という憧れの舞台で強い人たちと対戦してみたいと思ったのと、全国大会に出れば月バスに載れるんじゃないかという単純な考えで、外発的動機の目標を立てました。

 3は、私は150cmと小さく(その頃は148cmくらい)、小さいだけで人から馬鹿にされる事がよくあり、期待されない空気をよく感じていたので、これは小さい人が必ず経験する道なんだと思い、小さくてもできるんだという夢や希望を与えられるような人間になりたいな!と勝手に宿命にし、このような内発的動機の目標を立てました。


 中学生の頃(24年前)は、今のような専門的なトレーニングに溢れた環境は全くなく、部活も下校時間で終了し、土日もどっちかの半日だけという練習量でした。遠征をした事は一度もありません。ありがたい事に、中学の顧問の先生が福岡の強豪校である精華女子高校と繋がりがあり、合同練習に行ったりしたくらいでした。

 私の中学3年間は、部活動ばかりの3年間ではなく、部活の時間は短くてもしっかりと目標を持って集中し、その他の時間は自由に好きなように楽しんで過ごしたものでした。

 ですのでもちろん、九州大会や全国大会に出場した経験は一度もありませんが、私にとってはあの時期に過ごした、あのペースが今の考え方や過ごし方の土台を作ってくれたんだと思っています。


 高校の頃は、県大会を目指す!というチームに声をかけて頂き入学しました。練習量や練習の強度が高く、強豪校との練習試合や当時大分県1位の藤蔭高校へしょっちゅう遠征へ行ったりもしていましたが、県大会へ1度も出場する事はできませんでした。

 しかしここでは、スタートとして常に試合に出れる環境でプレーできた事が、とても大きな経験で、チームとして県大会に行けなくても、順位が低くても、試合に出て経験するという事が、その先の成功に繋がる土台になったと確信しています。


 そしてその後、強豪の短大に進学し、そこでは1年生ながらスタートとして起用して頂き、インカレ(大学の全国大会)3位、ベスト5を受賞しました。

 高校まで一度も全国大会を経験していない私が、短大に入った1年(正確には8ヶ月)で、なぜそこまでの結果を得る事ができたのか、バスケの理論や練習方法、恩師の考え方や指導理念など、様々な素敵な理由があり長くなるので、どこかの機会にお話しできればと思います。


 気がつけば7年かかってようやく目標が達成し、次は実業団でやりたい、次はアメリカ、次はドイツ…と達成するにつれて次々にやりたい事や目標が溢れてきました。

 しかし、3つ目の目標だけは今もまだ達成できていません。でもこの目標が、常に外発的動機の目標を支えているのだと思っています。


 その環境でバスケがしたいとか、全国大会でプレーしたい、などと目標を立てても達成しない時はよくあります。でもその時に、もう一つの目標の「人に夢を与えられる人間になる」というのがあるからこそ、ここで諦めたら目指す人間になれないな、とか、アメリカやドイツでチームが見つからない時期があっても、今の場所で何を経験してどのように成長していくべきか、自分がどう在りたいのか、を常に問いかけながら、なかなか達成しない目標の時期を乗り越えてきてたと思います。


 私は、育成年代に大人に過剰な期待をされずに過ごせたお陰で、自分で目標を決めて行動し、たくさん失敗できる時間を経験する事が出来たんだと思っています。

 大人からのプレッシャーもなく、成長を急がせられる事もなく、自分のペースで経験できた事で、上手くいかなくてもそれを乗り越える方法を見つけるスキルが身につき、今も磨き続ける事が出来ているんだと思っています。

 私には今もたくさんの目標・やりたい事があります。(ドリームMap

私はこれからも変わらず、目標に向かって過程を楽しんで過ごしていくと思います。これからはBlogでシェアしていきたいと思っていますので、私が達成していく目標を頭の片隅で見届けて頂けると幸いです。


 ただ一つだけ確信している事があります。なぜこのように自信を持って楽しい目標を作っていけるのかというのを分析してみると、小学校の頃に身につけた「習慣」と、勝手に「メンタルトレーニング」のお陰なのではないかなと思っています。


 ですので次回は、私が小4の時に自分で発見した「メンタルトレーニング」と、どうやってその「習慣」を身につけたのかをお話しできればと思います。


それでは、今回もお付き合い頂きありがとうございました。

ARU


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